Q) 先祖を供養しない、仏教を信仰しないと仏罰が当たりますか?そもそも神罰、天罰というものは存在しますか?

A) この世はまさかばかりの世界です

 

罰は支配者が権力の誇示の為に行うものです。昔は天災等の人の力ではどうしようもない被害、仕打ちを神や天の罰と考えました。しかし、御釈迦様は因果、業を中心に説いて下さいました。
震災などの天災、突然の病死は、諸行無常の世に於いては自然に起こりうる事。誰かの性とか天の罰ではなく、定まらない業としての様々な因縁によって起こった事。
そして、努力の結果成功を収めるなど、私たちの努力によって定める事の出来る業もあるという事。努力せず神頼み仏頼みしただけでは受験は決して受からない。
そもそも仏はまさかの世界で苦しむ私たちを救済する為に仏を目指されたのであり、罰を与える存在ではありません。先祖の方々も我が孫、我がひ孫と思い、元気に過ごす私たちを目を細めて喜ぶ事はあっても、呪うようなことはありません。どうか、畏れてお参りするのではなく、いつも私を慈しんで下さる仏様、ご先祖の方々に感謝の気持ちで御参りください。

Q) 仏教は結局同じことを言ってるの?選ぶにはどのように決めればいいの?

A) 目的は一つ。道はそれぞれ。

 

仏教は御釈迦様の教えです。どれも間違いはありません。そして、全ては御釈迦様のように仏を目指す教えです。富士山に様々な登り口があるように、仏教にも様々な入り口があり、それがそれぞれの宗派になります。

但し、山の頂上を目指さず、それぞれの道半ばだけを楽しんでいては本当の仏教を受け止めることは出来ません。どの宗派を信仰されるのも良いですが、その道を極めるような受け取りをして、仏に向かって参りましょう。様々な宗派の中で、私は浄土宗をお勧め致します。どうぞ他の項目をご参考にしていただければ幸いです。

 

Q) 科学が発展した今、宗教の価値観は無くなったのでは?

A) 科学が全てではない。

ノーベル物理学賞を取られた湯川先生は、「私の知識は海に比べたコップ一杯程の量に過ぎない。」と仰っておりました。科学には解明できない事が山のようにあります。医療に於いても「風邪の特効薬や水虫の治療が出来ればノーベル賞間違いなし」といわれています。出来ない事だらけ、判らない事だらけの私たち。
確かに、昔は神や悪魔、天や怨霊の仕業として来た事を科学で証明してきたものは沢山あります。例えば、雷の存在を昔は雷神風神が雲の上で太鼓を鳴らしているからと伝承されて来ました。また中国では、イナゴを追い払う為のお経(偽経)が信仰されていました。今は気象の動き、自然のメカニズムなどが解明され、現世利益的な祈祷の類や自然の営みを神や鬼の行いとした仏教とは程遠い信仰を信じる人は減りました。

 しかし、これだけ科学が発達しても判らない事だらけの世の中。ましてや、命終わった後の世界、この世以外の世界の事は全く判らない事だらけです。

 科学という近年にもっとも頼りとする知識だけを世界の全てとするのではなく、今も尚、科学者の中でも信仰される佛教を認める視点を持ってみませんか?


Q、仏壇を神棚の下に安置してはいけませんか?

 

A、問題ありません。一番大切なのは御祀りをする心と姿

昔から仏壇の上に神棚を置いている場所は沢山あります。地域によっては、それが当たり前だとする習慣の所もあります。神仏を同じ部屋に置かないように勧めるのは、風水の方の影響が大きいようです。また宗派によっては、仏様こそが一番で神様のほうが上にあるなどおかしいとする考えから、お仏壇の上に神棚など置かず、もし置くにしても半紙で「空」とか「天」と書いたものを仏壇の天井に貼ったりもするそうです。又、神道では、仏壇でお線香を炊くと神様が煙たくなるから真上には神棚を作らないようにとの話もあります。

 しかし、現に古来から仏壇の上に神棚を祀る所は多く、その地域に祟りや仏罰があったという話は聞きません。

日本は古来から、神様を敬い、同時に仏様を敬ってきました。どちらも大切にして下さい。

結論は、仏壇を下に、神棚を上にしても問題ありません。一番大切なのは御祀りをする心と姿です。

Q) 文明科学は難病を治し生活を豊かにしてきたが、宗教は病気を治さず貧しさを解消出来ない。それでも宗教って必要?

A) 目的と手段が違います。

江戸時代までは、宗教によっては祈祷などをして富を求めたり病気を治してもらえるようにとの営みがありました。しかし、実際祈ることで癌の治療が成功する訳でもなく、祈る事でいきなり食べ物が降って沸いてくる訳でもありません。そして、宗教の目的は物質を増やしたり病気を治すことではありません。物質をいくら増やしても私たちは満たされる気持ちはあっという間に消し飛びます。小さな病気を治してもこの世に於いては「生老病死」を免れることの出来る人は一人もいません。その死を見つめ、後の世に何を求め、この世で何を為すのか。その道を示すのが仏教です。この世の小さな事だけで考えれば必要ないと思えるかも知れません。

しかし、必ず来る「死」を決着する事は、今の「生」をより充実する事になるでしょう。

文明科学も必要ですが、宗教も大切にして下さい。